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校長からのメッセージ

 

奈良県立生駒高等学校長からのメッセージ

Message from Principal of Ikoma Senior High School


ようこそ、生駒高校のホームページへ

 奈良県立生駒高等学校のホームページをご覧いただき、ありがとうございます。就任2年目になります校長の廣岡敏美です。昨年同様よろしくお願いします。

 生駒高校は昭和38年に開校し、今年54年目となります。『創立十周年史』には、生駒高校創立は地元生駒町の方々の並々ならぬご支援があったお陰であることと、それに対しての感謝の気持ちが綴られています。「自ら考え行動する生徒」「ぬくもりのあふれる生徒」をめざし、生徒の皆さんが日々取り組む。そんな生徒を教職員が導き、サポートする。そういった学校を創っていくことが地域の皆様への恩返しであり、期待に応え、伝統を引き継ぐことであると、再確認し、新年度がスタートしました。

 さて、今回は生駒高校の所在地である壱分町の地名の由来とそれに関わり深い本校校章の由来についてご紹介したいと思います。
 市町村の合併等によって古くからある地名が消滅したり、開発されて新しい地名がつけられたり、地名は変化するもので、どうしてその地名がついたのかは、後の時代になるとよくわからない場合が多くあります。生駒市壱分町の「壱分」という地名の由来も諸説あります。(最寄駅の近鉄生駒線の駅名は「一分」です。)昭和60年に出された『生駒市誌』には4つの説が紹介されています。
 (1)壱分は生駒川(下流にいけば平群川、竜田川とよばれます。)の西と東に広がっていて、川の西にある 往馬大社(いこまたいしや)(創立は雄略朝に遡るといわれ、生駒谷の氏神としての格を早くからもっていた神社です。)の周りには樫(かし)が自生し鬱蒼とした森となっていた。この地は、「いちいかし」の生えた「檪生」(いちふ)里であるという説。
 (2)謀反の罪を着せられた悲劇の皇子である有間皇子(ありまのみこ)の私邸が市経(いちぶ)にあったとの『日本書紀』の記載により、市経(いちぶ)はこの地であるとする説。
 (3)平安時代初期、「一分官」という官職にあり、往馬大社(いこまたいしや)の神職を兼ねていた人が住んでいたという説。
 (4)中世末期の興福寺一乗院領生馬庄(こうふくじいちじよういんりよういこまのしよう)が一分、二分に分かれていたという『一乗院文書』の記載から、この地は「一分」に属し、生馬(いこま)下庄に当たっていたという説。

 いずれも「なるほど」と思えるのですが、第一の説に登場する「いちいかし」は、本校の校章として採用されました。前出の『創立十周年史』には次のように記載されています。
 「本校の校章は古代から生駒平群地方に自生繁茂する樫(かし)の葉を二枚組み合わせたもの」「樫(かし)は古く生命の樹ともいわれ、樫(かし)の葉を頭に挿すのは長寿を祈る呪術でもあった。本校の校章としてかかる樫(かし)の葉に象徴される堅実剛毅(けんじつごうき)、志操堅固(しそうけんこ)を校風理想とするとともに『古事記』の歌謡にも見られるよう、人間生命の尊重と本校の生々発展とを冀求(ききゆう)するものである。なお、二枚組み合わせた葉はV字形となり、ビクトリーの頭文字をも意味する。」

 歴史や来歴を知るということは、現在そして未来の自分をイメージするために必要な作業ではないでしょうか。本校校章を制定した当時の教職員の思いや願いを知り、生徒の皆さんは校章をつけるとともに生駒高校生としての矜持をもってほしいと思います。また、私たち教職員は当時の方々に学び、気持ちを引き締めて教育活動に邁進していきたいと考えます。

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