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校歌

大淀高等学校校歌

校歌誕生のまでのいきさつ

1948年(昭和23年)学制改革によってスタートした大淀高校には、校歌もまだありませんでした。1950年(昭和25年)第2回の卒業生を送った在校生の間から、校歌を作ろうという話が持ち上がりました。大淀高校が発足して3年目となるこの時期に、ぜひ自分たちの手で校歌をつくりあげようという声が高まっていったのです。

そこで校歌を募集したのですが、校歌として適当な作品がありませんでした。生徒会中央委員会で協議し、当時第一線の歌人として奈良市で活躍されていた、前川佐美雄氏に作詞をお願いすることになりました。生徒会長が前川氏と交渉し、快諾を得ました。前川佐美雄氏は、当時の日本歌壇の重鎮的存在だったのですが、大淀高校が農林学校だった頃の卒業生で、桜ヶ丘とはなじみが深かったのです。

前川氏の手によって待望の歌詞が誕生したのは10月のことでした。当時の学校新聞には、次のような記事が掲載されています。

『見よこの秀抜雄揮の桜ヶ丘の賛歌、いわゆるありふれた校歌調を脱し、文学的にして臭からず高尚にしてたかふらずしかも真理探求の学徒の胸底をそこそくと打つ高き格調』
(「大淀高校新聞昭和25年11月20日号より」)
作曲は本校音楽科教諭柳川先生の御子息で、天才ピアニストとして有名だった柳川守氏(当時五條高校3年生)にお願いしました。柳川氏は信時潔氏(大阪出身の作曲家。1887-1965。文部省唱歌をはじめとする多くの歌曲を作曲)の校閲を受けながら作曲にあたりました。

1951年(昭和26年)2月9日、待望の校歌発表会が開催されました。校内音楽会に引き続き、作曲者である柳川守氏の伴奏で全校生徒によって新しい校歌を斉唱しました。この後、柳川氏のピアノ独奏、大阪女子大教授の大淵先生の独唱による記念音楽会が開かれました。

このように、大淀高校校歌は生徒の強い要望により完成されたものなのです。

大淀高校校歌

作詞 前川 佐美雄
作曲 柳川 守
校閲 信時 潔


聞けやさやけき 吉野の川音(かわと)
永久(とわ)の響きの 流れ絶えねば
栄(はえ)ある母校 大淀われら
はぐくむ精神(こころ) つちかう生命(いのち)
面輪(おもわ)かがやく 希望を持てば
大峰山上に 雲立ち騰(あが)る
美しき哉(かな) われら大淀 大淀高校


見よやしずけき 吉野の流れ
深く沈みて 瀬音(せおと)を絶てば
幸ある母校 大淀われら
来(こ)し方しのび 時ゆく惜しみ
胸もゆる明日の 理想を持てば
大台ヶ原山(おおだいがはら)に 朝光(あさかげ)来(きた)る
美しき哉(かな) われら大淀 大淀高校

校歌を聴く

  • ピアノ演奏(midi 形式:伊藤淳氏作成)

  • 吹奏楽演奏(midi 形式:M氏作成)

  • ピアノ演奏(MP3 形式)

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