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十津川の寺について
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十津川の寺

いつから寺が存在したのか
 十津川村では、寛文12年(1672)から禅宗を帰依していました。禅宗とは仏教の一派で、座禅によって仏教の真髄を体得することを目的とする宗派です。
十津川村には、玉置山を除いて53か所の寺があり、そのうち51の寺が檀家を持っていました。
 十津川村では、禅宗の中の2つの宗派が信仰され、その宗派は曹洞宗と臨済宗でした。ちなみにその頃の日本は江戸時代初期で天下の副将軍と言われた徳川光圀が大日本史を執筆し、海外では、フランスのルイ14世が絶対王政を行い、ベルサイユ宮殿を建設していました。

なぜ十津川に寺はないのか
 では、話を戻しましょう。
 なぜ、十津川村に寺がなくなったのでしょうか。
それは、明治元年に「神仏分離令」という命令を政府が出したからです。
なぜ政府がそんな命令を出したかというと、天皇が神様であるという考えから出したのです。天皇と同じように崇められる仏はおかしいということです。
つまり、神の国日本に必要ないということです。
 そして十津川村も、この命令に従って53もあった寺をなくしたのです。
この行為を「廃仏毀釈」と言います。

その他の理由(1)
 しかし、そう簡単にありがたい寺や思想を捨てたり壊したりできるものでしょうか。
 十津川村が廃仏を進めた理由は他にもあります。
本格的に仏教が信じ始められたのは、平安時代からで、その頃から元から信じられてきた神とともに拝む習慣「神仏習合」が広がったのです。さらに、江戸時代になると神道よりも仏教の力が強くなり、幕府の方針で仏教が大事にされたのです。しかし、状況は一変し、倒幕して天皇中心の政府ができてから一気に神道が巻き返したのです。「神の国日本」としての神仏分離令を出したのです。だから天皇は神の国としての頂点で、神と考えられたのです。

その他の理由(2)
 そして、天皇と十津川村との関係は、玉置山や熊野古道など天皇との関わりが強かったために廃仏をより進めたのかも知れません。そしてもちろん何人かの過激派の人たちはいたようです。
 そして何より明治の大水害による被害も大きかったようです。その時、多くの仏像などが流されたようです。