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奈良県立十津川高等学校

はじめに

 私たちの修学旅行は平成17年から連続して、隠岐方面へ行っています。
先輩方にお聞きすると、とても勉強になり、楽しく良い思い出を多く作ることができたと好評ですが、私たちはそんなに隠岐のことを知っているわけではありません。

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 十津川高校の創設は隠岐出身の中沼了三先生であることは先生方から伺っており、十津川高校のグランドには中沼了三先生頌徳碑があります。

学校グラウンドにある、中沼了三先生頌徳碑学校グラウンドにある、中沼了三先生頌徳碑中沼了三先生頌徳碑の裏の文章中沼了三先生頌徳碑の裏の文章

※この中沼了三先生頌徳碑裏にはこのような文章が書かれています。

中沼了三先生は 文化十三年隠岐中村に生れ若くして学識を極め 京都にあって学習院に職を奉じ 次いで孝明天皇儒官となった 幕末の風雲急をつげる維新前夜 古来勤皇の歴史と伝統を誇る十津川郷士は 決然立って京に上り勤皇運動を展開 先生の人格識見を慕い 折にふれその教導を受けた とりわけ御所の警衛は先生の指導による所が大であった 又この時期郷民は文武修行の必要性を痛感 学校設立を上願 許されて文武館創立の内勅をたまわったが このことは先生の格別の配慮により実現したものである 元治元年六月五日 孝明天皇の命をおびた先生は折立松雲寺において開館式を挙げ 大学の三綱領を講ぜられた 開館後 長男清蔵が教授にあたり 三男璉三郎が剣道の指導にあたった 先生は その後新政府の参与征討大将軍参謀 明治天皇待講 昌平学校一等教授等歴任 維新の創業に要人として力を尽くされた 晩年 大津に湖南学舎を開き 明治二十九年京都において八十一歳の生涯を閉じられた 先生により開学の灯の点ぜられた文武館は 元治慶応明治大正昭和平成と幾多の変革を辿りつつも 不変の文武二道修練の精神を綿綿と堅持し 来り学ぶ者五千有余名を数えるに至った 創立百三十周年にあたり同窓会会員一同開学の往時を追想し 先生の功徳を偲び 碑を建て報恩の微意を表わすものである

 そこで、まず私たちの通っている十津川高校の前身である文武館、その創設に深く関わったと言われる中沼了三先生のこと、先生の故郷である隠岐のことをもっと知りたいと思い、修学旅行の事前学習を兼ねて隠岐について調べることにしました。